万葉線
万葉線とは、富山県高岡市と射水市(旧新湊市)とを結ぶ路面電車の路線通称。
第三セクター方式の鉄道会社で2002年に民間から事業譲渡されて現在に至ります。
かつて越中国守として「万葉集」の編者である大伴家持が赴任し、数多くの歌を残したことに因んでこの愛称になったらしいです。
ポートラムと呼ばれる新型の超低床構造の2車体連接車が導入されましたが、デ7070型と呼ばれる昔ながらの車両も現役で頑張っています。
万葉線とは、富山県高岡市と射水市(旧新湊市)とを結ぶ路面電車の路線通称。
第三セクター方式の鉄道会社で2002年に民間から事業譲渡されて現在に至ります。
かつて越中国守として「万葉集」の編者である大伴家持が赴任し、数多くの歌を残したことに因んでこの愛称になったらしいです。
ポートラムと呼ばれる新型の超低床構造の2車体連接車が導入されましたが、デ7070型と呼ばれる昔ながらの車両も現役で頑張っています。
鋳物の町『金屋町』は高岡駅前通りをまっすぐ行き、千保川に架かる鳳鳴橋を渡ったところにあります。
今から380年前の慶長14年、前田利長が城下町高岡の興隆繁栄を図る政策の一つとして、砺波郡西部金屋村より鋳物師7名を招いて、鋳物工場をこの金屋町に開かせた、いわば高岡銅器の発祥の地です。
今も銅器づくりの職人が多く住む町であり、千本格子の古い町並みと石畳がしっとりと落ち着きのあるたたずまいをみせています。町内には鋳物資料館もあります。(たかおか生涯学習広場より引用)
高岡大仏は、奈良大仏(752年)、鎌倉大仏(1246年)と並んで日本三大仏に数えられ、「銅器のまち」「ものづくりのまち」高岡のシンボル。
高岡大仏は、その歴史の始まりは1221年頃。
当時、摂津国の源義勝が越中に移り、二上山麓に1丈6尺(約5メートル)の木造大仏を造営したのが始まり。
その後、1609年に前田利長公が今の大手町に移され、長年にわたって高岡町民に親しまれてきています。
しかし、大火による消失と再建を繰り返したことから、火事で燃えることのない大仏を求める声があがり、380年の伝統を誇る高岡銅器の職人の手による大仏が昭和7年12月に完成し、昭和8年5月に開眼式が盛大に行われました。
高岡御車山は天正16年(1588年)豊臣秀吉が、後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉る時に使用したもので、加賀藩初代藩主前田利家が秀吉より拝領し、二代目藩主前田利長が慶長14年(1609年)に高岡城を築くに当たり町民に与えられたのが始まりと伝えられています。
京都祗園の祭礼にならって鉾山に改造され、高岡関野神社の祭礼日に神輿と共に曳廻されて以来、今日にいたるまで高岡の発展と共に継承されてきました。
御車山は御所車形式に鉾を立てた特殊なもので、高岡町民の心意気と財力に支えられ、格式を保ち高岡の金工、漆工、染織等の優れた工芸技術の装飾が車輪や高欄、長押等に施された日本でも屈指の華やかな山車です。
高岡に「山町筋」と呼ばれ、古い土蔵づくりの家々が散在する町並みがあります。
毎年5月1日、高岡山町一帯を巡行します。4月30日前夜祭の宵山祭や1日夕方のライトアップ展示もあります
瑞龍寺」は、富山県高岡市にある曹洞宗の名刹で、加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺として、三代藩主前田利常によって建立されました。
江戸時代初期の曹洞宗寺院建築で、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配した均衡美を醸し出しており、壮麗な伽藍配置を今に伝えるものとして、その建築技術は高く評価されています。
平成9(1997)年に山門・仏殿・法堂が富山県内で初めて国宝に指定されました。
建築物の国宝指定は、昭和42(1967)年の法隆寺綱封蔵以来、30年ぶりのことです。
また、総門・禅堂・大茶堂なども国の重要文化財に指定されています。
「瑞龍寺」は、(社)高岡青年会議所の設立30周年記念事業「TAKAOKAイルミナイト・イリュージョン」の一環として、平成12(2000)年から毎年夏にライトアップが行われ、市民や観光客の目を楽しませています。
高岡漆器は、慶長14年(1609年)二代目加賀藩前田利長公が高岡城を築きいた時、武具や箪笥、膳等日常生活品を作らせたのが始まりになります。
その後、中国から堆朱、堆黒などの技法が伝えられ、彫刻塗、錆絵、螺鈿、存星など多彩な技術が生みだされます。
これらの技は高岡の祭礼に曵き回される絢爛豪華な御車山(みくるまやま・重要有形文化財)に集結されています。
こうして町人文化のなかにしっかりと根づき、発展してきました。
昭和50年9月に国の伝統的工芸品の産地指定を受けました。
高岡銅器は、慶長14年(1609年)加賀藩主前田利長公が高岡開城後に招いた7人の鋳物師達(河内国丹南郡の技術を受け継ぐ)の手に よって始まりました。
当初は、鉄鋳物が中心でしたが、江戸時代中頃から銅鋳物も盛んになり、明治期になると技術力は更に向上し、万国博覧会を通して世界にも紹介され、輸出品としても美術銅器は確固たる地位を築きあげました。
昭和50年には国の伝統的工芸品の産地指定を受けました。
発祥以来390年たった現在も日本唯一の銅鋳物の産地としてインテリア小物から屋外のブロンズ像までの幅広い製品を手がけています。
高岡の地名の由来は。。。。。。
今からさかのぼる事、約400年前。
1609年(慶長14年)に、加賀藩二代藩主前田利長が、今日の市内中心部である関野の地に城を築き、詩経の「鳳凰鳴矣干彼高岡」(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)からとって高岡と名づけたそうです。
高岡は、天平18年(746年)越中の国守として赴任した万葉歌人、大伴家持が5年間の在任中に多くの秀歌を詠んだ我が国有数の万葉故地として有名です。
近世には、慶長14年(1609)に加賀藩二代藩主前田利長公が、高岡城を築き開いた町を礎に、商工の町として発展しました。
今日では、高岡銅器、高岡漆器などの伝統工芸のほか、アルミ加工、化学、パルプ・製紙、機械製造やデザイン・情報関連の新たな産業も盛んです。
市内には、国宝瑞龍寺、重要文化財勝興寺や土蔵造り・千本格子の町並み、古城公園などの歴史的・文化的資産が数多く残されています。
らには四季を通じて、高岡御車山祭、七夕まつり、万葉まつり(万葉集全20巻朗唱の会等)、日本海高岡なべまつりなど、伝統的な祭りや市民参加型のイベントが多数あります。
高岡市は、富山県西部に位置する街です。
面積は150平方キロメートル、人口182,696人(平成18年2月6日現在)で、富山県内(人口約111万人・平成17年10月1日現在)において、富山市に次ぐ富山県第二の都市になります。
1889年(明治22年)に全国の他の38市とともに日本で初めての市となっており、1989年(平成元年)に市制施行100周年を迎えました。
市内の西側には、二上山とこれに連なる西部丘陵がありますが、市域の大部分は庄川・小矢部川によって形成された平坦な平野部からなっている。
市域の北側は富山湾に面しており、富山湾寄りの伏木には、日本海側で有数の伏木港があります。
産業は、梵鐘などの銅器製造(高岡銅器)が全国的に有名で、その他アルミ建材の出荷額が全国の中でもトップクラスです。